こんにちは。みやです。
世界遺産検定を受けようと思うので、勉強のついでにまとめたいと思います。
- サンティアゴ・デ・コンポステーラ
- サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
- フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地
- ヴァティカン市国
- イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼地
- ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」
- モン・サン・ミシェルとその湾
- ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会
サンティアゴ・デ・コンポステーラ
登録年1985年 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅵ
スペイン北西部の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」は、キリスト教の十二使徒のひとり、聖ヤコブゆかりの地で、ヴァティカンやエルサレムと並ぶキリスト教3大巡礼地のひとつにも数えられます。
旧市街には聖ヤコブの大聖堂をはじめとする多くの聖堂や現在はパラドールとなっている旧王立施療院などが残っています。
9世紀初頭、この地で聖ヤコブの遺骸が発見されたと伝えられ、アストゥリアス王国のアルフォンソ2世は聖ヤコブを祀るための聖堂を建設しました。
10世紀末にイスラム勢力に支配され、聖堂も破壊されたが、レコンキスタによって街が奪還されると11世紀後半にはキリスト教の聖地として再興され、巡礼者が増えました。
巡礼者を最初に迎え入れる大聖堂の正面門は、彫刻家マテオが20年の歳月をかけて1188年完成させたロマネスク様式の傑作で、「栄光の門」と呼ばれている。
また、その後も15世紀のクーポラや16世紀の修道院、17世紀に完成したチュリゲラ様式の主祭壇などが増築されました。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
登録年1993年/2015年範囲拡大 登録基準ⅱ、ⅳ、ⅵ
ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫くサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路、カミノ・フランセス(フランス人の道)のほかスペイン北部の巡礼路が登録されています。
世界遺産の中でも珍しい「道の遺産」で、聖ヤコブへの信仰が11世紀頃にヨーロッパ中に広がると、この道を通じて文化交流が行われ、ロマネスク様式が広がる手助けにもなりました。
巡礼は12世紀に最盛期を迎え、民間人だけでなく王侯貴族も行いました。
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地
登録年1998年 登録基準ⅱ、ⅳ、ⅵ
フランスにある「トゥールの道」「リモージュの道」「ル・ピュイの道」「トゥールーズの道」の4本の道は、ピレネー山脈を抜けて聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに通じるフランス側の巡礼地です。
世界遺産には、スペイン側の巡礼地とは別で登録されています。
4本の道とともに沿道に立つトゥールのサン・ガティアン大聖堂やトゥールーズのサン・セルナン教会などの聖堂や修道院も含まれ、単独で世界遺産となっているモン・サン・ミシェルやヴェズレーのサント・マドレーヌ教会なども構成遺産に含まれます。
ヴァティカン市国
登録年1984年 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ、ⅵ
世界最小の独立国ヴァティカン市国は、ローマ教皇庁が置かれるカトリック教会の聖地があり、ローマ教皇が国家元首を務め、国全体が世界遺産登録されている世界で唯一の場所です。
イエス・キリストの最初の弟子ペテロの墓所に立つサン・ピエトロ大聖堂は、宗教建築としては世界最大級の大きさを誇ります。
15世紀にドナート・ブラマンテを主任建築家として始まった大規模な改築工事を、ミケランジェロが引き継ぎ1626年に完成しました。
システィーナ礼拝堂にはミケランジェロによる「最後の審判」のフレスコ画があります。
イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼地
登録年2012年/2012年危機遺産登録 登録基準ⅳ、ⅵ
イエスが生まれたとされる場所に建てられた聖誕教会には、ローマ・カトリックやギリシャ正教、フランシスコ会やアルメニア教会の女子修道院や教会なども含まれ、鐘楼や庭園、巡礼地なども登録されました。
漏水による建物破損などのため緊急な保護が必要であるとの判断から、正規の登録手順をふまない「緊急的登録推薦」で登録されており、登録と同時に危機遺産リストに記載されました。
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」
登録年1980年 登録基準ⅰ、ⅱ
15世紀半ばに建造されたドミニコ会の修道院で、修道院の食堂壁面にはレオナルド・ダ・ヴィンチ唯一の壁画作品である「最後の晩餐」が残されています。
ゴシック様式の修道院は、15世紀にブラマンテによってルネサンス様式のクーポラと後陣が増築されています。
モン・サン・ミシェルとその湾
登録年1979年/2007年、2018年範囲変更 登録基準ⅰ、ⅲ、ⅵ
フランス北西部のモン・サン・ミシェル湾に浮かぶモン・サン・ミシェルは「聖ミカエルの山」とあがめられる修道院の島です。
708年、司教のオベールが大天使ミカエルの啓示に従い岩山に聖堂を建てると、岩山は一夜にして海に囲まれた島になったと伝えられている。
ベネディクト会の修道院が創設された10世紀以降、数世紀にわたる増改築が繰り返され、中世の多様な建築様式が混在した現在の姿になりました。
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会
登録年2001年 登録基準ⅲ、ⅳ、ⅵ
ポーランド南西部のシレジア地方は、カトリック教徒のハプスブルク家の支配下にあったが、ヤヴォルとシフィドニツァは三十年戦争後も例外的にプロテスタントの教会の建築が許されました。
砦として使われることのないように、石造ではなく木と土の伝統的技法によって建造され、清貧を旨とするプロテスタントの教会でありながらカトリック的な壮麗さを併せもっており、その歴史的背景から平和教会と呼ばれている。